最初の仕事は無料研修だった学生時代。
所属はもちろん設計課で、男性社員数人の中での研修。
男用アノラックを着込んで、すすきの現場スナックなんて行ってた。
そして唯一やらせてもらえたのがゴルフ場の屋外サインのデザイン。
もちろんロゴ文字から看板のデザインまで…そのまま採用になってかなり嬉しかった。

  内定したまま結局は就職しなかったんだけど、
  結婚後も10年近く夢に出てくる程後悔が残っている。
  とてもやりたかった仕事だからこそ…


地方都市で就職したのが札幌に本社のあるアパレル販売。
数カ月売り場に立っていたけど、その後POPライターへの採用に。
まだ当時はノウハウはもちろん検定なんかもなくて、ほとんど自己流だった。
ウィンドウのディスプレイなんかも1人でデザイン作成。
ミューズコットン紙なんか使って、おおきなチョウチョ飛ばしたり、つくしを作ったり。
売り場に季節感を与える…それなりに充実感のある仕事だったなぁ。

次の仕事が結婚を機に帰った実家のある地方都市。
某小売業の大型店のPOPライターが私の職場。
もちろん始めての採用で、セール前は残業なんて当たり前。
当時20店近くあった小型店鋪では、レジ係がPOPも兼ねていたから
その実践講習や教育も私の仕事で、毎日が充実していた。
メーカーなんかに講師として呼ばれていたりもしていて、本当に走り的職業だった時代。
画材なんかも札幌まで出ないと揃わない時代で、よくトップの人達の出張に同行してた。
給与はともかく待遇は相当優遇されてたなぁ。
  そういえば出産育児休暇を使ったのもはじめてだったっけ。
  う…時代の違いがばればれですぅ。


その後子育ての時期もあり系列会社への転職で社員から契約に。
まだ売り手市場だったから、時給にすると相当な優遇だった。
本社での仕事だったので合併後の通勤が不可能だったから、近くの大手スーパーの大型店でパート契約。
もちろん時給は優遇、たまたま一緒だったフリーの人からも仕事を依頼されたりで、
収入に波があったけれど、それなりの楽しさもあった。

  そして次男の妊娠出産で長いブランク。
  仕事への復帰なんて考えることもなく…かといってしあわせって訳でもなく…
  理想の家庭人を職業にしていたのかも。


離婚が前提だった別居時からフルタイムの仕事に復帰。
かっての仕事はブランクの間に相当変化していて、ほとんどがPC仕様。
やりがいよりも収入重視で飛び込んだ営業の世界。
もちろん充実感なんてある訳もなく、ただただ流されていたなぁ。

そしてその職場も倒産という事になり、結局は今の仕事に。
本来のデザインを生かして、またまた自己流でPCの世界。
好きな仕事だからこそ、この数年の経験を生かしていきたいけれど。

こうして振り返ってみると、はじめの研修の時を除いては、
いつも始めての経験ばかりの私の職歴。
そして結局は自分の好きな仕事にやりがいを覚えたいタイプ。
『好きこそものの上手なれ』なんだろうなぁ。

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